生物としての自分
父母のDNAを持って生まれて、保育園小中高大院とサッカーを習わせてもらいながら過ごした。環境は回りに与えてもらったり、自分で選んだりした。感情は生まれ持った特性に加えて、環境がプラスもマイナスも思考回路に影響を与えてくれた。DNAも環境も、じいちゃんひいじいちゃんと辿って行ったり、平成昭和明治と辿っていける過去の上にあるわけで、複雑だけど単純なモノでできているようなそんな感じ。
自分の意思のように感じているものも、ある意味そういう過去からのただの延長に過ぎないんじゃないかという感じ。
いいことは先人に感謝。悪いことは先人のせい。それでいいんじゃないかって今は思ったりするなど。
人より劣ってるということ
学生時代、周りの人みたいにワイワイできないことに劣等感を感じてた。人を巻き込んで楽しそうな人に憧れてた。
あのときなりたかった自分に少しは近づけているような気がする。ただ、思ってた近づき方とは違かったのが少し驚き。
自分が憧れていた人間像はとにかくエネルギーがあって、芯があって声が大きい感じだった。でも今の自分はエネルギーが人一倍なくて、人よりブレやすくて声が小さい。だからできることもあるんだとやっとやっとで知った。
人よりできないことに劣等感を感じてできることを妬んでいたことがダメだったんだなあと。人よりできないことって周りにトゲがなくていいことなんだよなあと最近は思う。劣等感さえ感じなければ素直に人を褒められるようになるのもポイント高い。学生時代の自分に言っても聞く耳持たないんだろうけど。

お久しぶり
社会人4年目になりました。
楽しく過ごしてます。
就職してからはすぐに転勤を命じられ、名古屋に移り住んでます。
相変わらず仕事はできないけれど。
コロコロ変わる目標
•長期的な目標
とりあえず毎日生きる
•短期的な目標
連投
悩んでる時ほど連投しがち。頭がぐるぐる回って、ああでもないこうでもない、全部ダメってなる。
うまく行かないときに、自分がダメだっていう問題提起をすると、自分を変えるって言う極めて長期的な問題になってることに気づいた。
そういうときは、とりあえず目の前の作業。手元にある作業をこなす、やり遂げることを意識しよう。
余裕ができるかはわからないけど、余裕ができたら長期的な部分も考えてみようかしら
属
1人で作業が完結できないっていうのは、何かに属しているってことになるわけで、何かに属するってことは、そこに依存する必要があるわけで、依存するってことは、自由がなくなるわけだから、1人で作業ができるっていうのは自由なんだね